手のひらにすっぽり収まる香合には、木目のうえでひらひら泳ぐ金魚が2匹。朱と黒の背中で光るウロコは、貝の粒でできている。蒔絵をはじめて10年になる伯兆こと寺内博子さんの作品だ。
親子そろって蒔絵師という寺内さんは、栃木県南端にお住まいだ。「ほんと、フツウの家で、拍子抜けされますよ」と仰るとおり、案内されたお宅は、白いプランターに色とりどりの花が咲く、いかにも郊外の一戸建。犬と兎が同居する。
北寄りの一室が、ご家族四人の仕事場だ。卓を囲んでご両親と博子さんが座るようすは、工房というよりお茶の間といった趣だが、見れば筆や漆用の皿、材料を入れた容器や作業中の作品などが、所せましと並んでいる。
寺内家の本業は、鼈甲(べっこう)や琥珀(こはく)に貝の粒で模様を描く螺鈿(らでん)蒔絵だ。漆で描いた絵模様に、金粉を蒔きつける蒔絵の起こりは、平安時代にさかのぼる。貝をつかった螺鈿のなかでも、こまかく切ってモザイク状に置く技法は、大正以降に編み出され、父上の一径氏で3代目。 西陣織にもつかわれる鮑(あわび)は、色がよく、薄いものほど上質だが、年々入手がむずかしくなっている。水に漬けた貝片は透けるほどに薄く、白地に緑や紫の波模様が浮いて、光にかざすと色を変える。天然のうつくしさだ。貝切りは、5センチ四方のガラス板にのせた貝を、弾力を保つため湿らせながら、包丁大の刃物で0.5ミリほどの幅に切りそろえ、くずれないよう美濃紙などごくうすい紙をのせ、こんどは直角に切っていく。目の痛くなる熟練技は、専ら母上の担当だ。貝を切るかわりに、花びらなどの型で抜くこともある。
おおまかな工程は、まず紙に描いた図案を裏から漆で細く線描きし、乾かぬうちに台に当てて写しとる。地描き漆で地塗りをした上に、ブツブツした梨金など、数種類もの金粉を文様にあわせて蒔く。黒、白いがいに朱、緑、紫、青と4種類の漆で彩色し、切った貝をひと粒ずつ置いていく。5センチ角ほどの貝片でも、箇所によって色がちがう。模様に合う色目をえらんでは置いていくので、使いかけのガラス板は、虫食いのように穴があく。息の詰まる細かい作業だ。さらに漆を塗り、炭で砥いで仕上げる。さいごに金で輪郭を描く毛打(けう)ちには、ごく細い筆を使う。塗っては乾かし、艶出し以外はすべて手作業なので、ひとつ仕上げるのに早くても15日から20日はかかる。
漆の乾きぐあいは、天候に大きく左右される。湿度が高いほど乾きやすく、梅雨時は2時間で乾くものが、氷点下では一晩かけても乾かない。一発で仕上げねばならぬ技法もあり、天気をみながら計画的に作業することが肝要だ。扱いのむずかしい漆芸は、数字ではなく、肌でコツを覚えていく。埃や油分は大敵なので、ポマードやハンドクリームは使わない。道具も竹の箆(へら)や筆など、なべて天然素材の手づくりだ。
高価な鼈甲細工は、問屋からの完全注文制である。 櫛や帯留めなどの和装小物から、ペンダントやブローチまで、指定の文様で仕上げて納める。問屋に納めた品物は、いかに精魂をこめようと、その行く末を見届けることはない。博子さんは一度だけ、父上の作らしき櫛をさした女性を見かけたことがあるという。作品の裏に記した号だけが縁(よすが)の注文品には、形や図柄に制約がおおいため、おさまらぬ創作意欲はじぶんの作品づくりに投じる。父上 一径氏が「みんな遊びです」と取り出してくださった櫛や印籠には、ぎっしりと青海波などの文様がほどこされ、お椀の高台まで塗られた総蒔絵の豪華さは、「注文じゃできません」とのこと。
ご説明いただきながら、お宅のあちこちから、手品のように櫛やブローチが現れる。自作の品や、わずかな傷で手許にのこった注文品だ。ふしぎなもので、博物館のガラスケースに収まる蒔絵は作品にしか見えないが、手にとって眺めると、日本髪にあわせた姿や、贈ったり贈られたりする誇らしさ嬉しさまでがうっとりと想像できて、モノの命が感じられる。繊細きわまる日本の装飾品にもあらためて感服する。限られた階層とはいえ、こうした逸品をつかいこなす見識が共有された時代があった。
寺内家でふだん使われている棗(なつめ)も見せていただいた。父上の手による季節の花が鮮やかに描かれた4つの棗は、手になじんで実にいい色あいだ。使うほど味わいが増す漆ならではの風合いが、貝の輝きをしっとりと落ちつかせる。
蒔絵の図案は、写実にはない日本画独自のデザインが活きる。大胆な構図を立体的な土台にぴたりと納めるのも腕のみせどころ。仕事部屋には文様集が何冊もそろえてあり、古典をさまざまに応用して新しい絵がうまれる。学校でデザインを学んだ博子さんは、伝統的な文様にとどまらず、好きな絵柄を漆と貝で表す試みをつづけている。
蒔絵が庶民に近よりがたいのは、技術はむろん、材料が貴重であることも一因だ。漆にしても、ベトナムなど外国産が出回るなか、寺内家では高価な国産を手づから調合するなど、吟味と手間を惜しまない。博子さんの香合は、金粉の種類や土台を変えて、手ごろな価格に押さえる工夫がこらされている。鼈甲や琥珀もすてきだが、お椀や弁当箱など、漆器ならどんなものでも土台になる。さいきんは、骨董品に描く依頼もあるそうだ。東急ハンズで買った香合にも蒔絵を描いてしまうのは、若い職人なればこそ。時代をおおう効率化にのみこまれず、技は地道に受け継ぎながら、伝統工芸のせまい枠をこえ、親しみやすい蒔絵を世に出そうと立ち上げたのが、「蒔絵屋」というHPだ。
目下の目玉商品である、香合の図案がおもしろい。犬張子やてんとう虫、蜜蜂、金魚も出目金など、いずれもどこか愛嬌がある。豪華な紫陽花にはカタツムリ、蛙の裏にはオタマジャクシの趣向も憎い。香合とはいえ、お香に限らず、小物入れなど使いようはお好みしだい。ご自身も、ビーズを入れたり、お友だちの出産祝いに、へその緒入れとして贈られたとか。鼈甲には手が出なくとも、カワイイ蒔絵がお小遣いで買えるとなれば、裾野はひろがるにちがいない。
在学中からモノづくりを志し、雑貨店などはよくのぞかれたという博子さん。ご両親から家業を継ぐよう説得されたことはなかったが、卒業後ほどなく修行をはじめて10年。「蒔絵屋」の挑戦はこれからだ。
いかにも和気藹々といった寺内家だが、職住が完全一致の仕事はやはり楽ではないらしい。「土日はぜったい家には居ません。キャンプに行ったり、夜中まで帰りません。」ときっぱり。伝統漬けでないバランスのよさが、ユニークな作風にあらわれるのか。
貝の蒔絵にはじめて触れれば、おどろかずにはいられまい。光のぐあいで、刻々と色をかえて輝く不思議。自然をとりこむ緻密な職人芸は、手にとってこそ味わえる。多くのひとが螺鈿蒔絵に見て触れて、使って愛でることのできるよう、博子さんが本業ともども作品づくりにいっそう励まれるよう祈りたい。かつて「ジャパン」と称され海外でも珍重された日本の誇る漆芸も、やや先細りなのが現状だ。若き蒔絵師のしなやかな普及活動は、気軽にたのしむ「マキエ」の魅力をきっと広めることだろう。 |
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| ◆金魚の香合は伯兆氏の自作一号 |
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| ◆各々の仕事にかかる御両親と博子さん |
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| ◆鼈甲の櫛に施された蒔絵(父 一径氏作) |
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| ◆熟練を要する貝切り作業
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| ◆竹の置き棒に貝の粒を唾でつけては置いていく。
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| ◆仕上や地描き用の筆 船鼠の毛が随一 |
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| ◆父 一径氏作、総蒔絵の印籠。光にかざすと、劇的なまでに色と輝きをかえる。 |
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| ◆ふだんづかいの棗(父 一径氏作)。「中身はお番茶だったりする」らしい。 |
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| ◆迫力満点 伊勢海老は古典柄から 琴の爪入れ(伯兆氏作) |
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| ◆「蒔絵屋」で購入できる蛙の香合(伯兆氏作) |
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